今回は東海北陸自動車道について解説していきたいと思います。
では詳細をみていきましょう!
東海北陸自動車道とは?
愛知県一宮市の「一宮ジャンクション」から北上し、岐阜市や関市といった濃尾平野の街を抜けて、小京都として名高い観光地の高山市や、世界遺産にもなっている合掌造りの白川郷を通り、最終的には富山県砺波市の「小矢部砺波ジャンクション」までを結ぶ、総延長約190キロの高速道路です。
起点の一宮ジャンクションでは名神高速道路に、終点の小矢部砺波ジャンクションでは北陸道と能越道に接続し、さらに途中の美濃席ジャンクションでは東海環状道に、飛騨清見インターと白鳥インターでは中部縦貫道と接続するなど、尾張、飛騨、越前を南北につなぐ、地域間の移動に欠かせない交通ルートになっています。
平野から山岳地帯を抜けて平野部を繋ぐ道なのですが、開通が比較的遅かったことからトンネルが多用されており、中国道や中央道といった古めの道よりかは、坂やカーブも抑えられていて走りやすくなっています。
東海北陸自動車道はいつ開通した?
ルート的には結構重要そうな道なのに、開通は遅かったのですが、いつ開通したのでしょうか?
1986年に岐阜各務原インターから美濃インター間が開通したのを皮切りに、中間の山間部よりも需要が見込め、かつ建設工事が比較的容易な両端の平野部から、じわりじわりと開通距離を伸ばしていきました。
そして初開通から20年ちょっと経った2008年に、最後の未開通区間であった「飛騨清見インター」から「白川郷インター」間が開通し、北陸と東海地方の最短直通ルートが完成しました。
この道が全通して以降、北陸道や上信越道周りで迂回して南北を結んでいた物流トラックや高速バスが、新たなルートである東海北陸道を選択したり、高山や白川郷、五箇山、下呂といった沿線の観光地を訪れる観光客が増加したりと、この辺りの地域を結ぶ大動脈として、経済に大きく貢献している道と言えます。
特に冬場は雪質が売りのスキー場が沿線に多数存在していることから、東海や関西からウィンタースポーツを楽しみに来た利用者で、非常に混雑する道なんだそうです。
特に白川郷や五箇山の合掌造りは鉄道も通っておらず、東海北陸道の開通前はかなりアクセスの悪い世界遺産でしたから、個人的には日本全国様々な高速道路が存在している中でも、開通の効果はかなり高い道であったと思います。
過去、東海北陸道は無駄とバッシングを喰らう!
開通効果が高くて利用も伸びているなら、金食い虫ていうより無視優秀な稼ぎ手だと、今では言えますが、かつてはお金ばっかり掛かる「無駄」の代名詞として嫌われていました。
確かに東海北陸道は、ルート的には日本列島を南北に貫き、地理的にも文化的にも近しい存在であった東海地方と北陸地方をダイレクトに結ぶ道です。
北陸地方から関西方面へは高速道路も鉄道幹線も整備されており、アクセスが比較的容易であった一方、東海地方へは、一般国道と名ばかり本線のローカル線しか存在しておらず、遠回りをするか貧弱な交通ルートを使うかという、悩ましい選択を迫られていました。
実は東海北陸道は、総工費が1兆2190億円かかっているんです。
実をいうとこの費用は当初の予想から大きく膨らんだ数字で、世間の反応は冷たく、マスコミからも多くの非難を浴びました。
更に2000年代初頭は、時の政権が道路公団の民営化を進めていた時期であり、国会でも「不要で無駄な高速道路」としてやり玉にあげられ、いらない交通事業の代名詞ともなってしまいました。
ルート的には需要がかなり見込めるし、多少は費用が掛かっても一概に無駄とは断言できないでしょう。
しかしながら、東海北陸道が最も非難を浴びていたのは2000年代初頭で、当時はまだまだ開通区間も少なく、交通量も今と比べるとかなり少ない数字になっていました。
最も交通量の多い岐阜から一宮あたりの区間で1日3万台程度、一番利用率が低い区間では一日で僅か2000台程度の利用しかないという厳しい状況でした。
2000台なので一時間に83台なので、1分間に1台ちょっとしか来ない計算になります。
こういった状況から、この頃の東海北陸道は営業係数が224と、全国の高速道路の中で最悪の数字となっていました。
主に鉄道やバスで使われる指標なのですが、100円稼ぐのにどれだけの費用が必要かというのを表す指数となっています。
つまり営業係数だと、100円の収益を得るのに224円の費用が掛かっている状態だということなので、赤字です。
民営化の為に高速道路の赤字を圧縮しようとしている最中で、営業成績が全国ワーストとなれば、議論の題材として使われるのは避けられないでしょう。
東海北陸道は赤字なのか?
しかし、利用が多い場所では一日3万台の利用があるわけなのに、東海北陸道だけ赤字を垂れ流したのか?
冒頭でも述べた通り、東海北陸道は古い道よりトンネルが多用されていて、坂やカーブが少なく走りやすいのですが、実際に山間部ではトンネルや橋が多用されていて、土木技術的には凄くレベルの高い道になっているのです。
それで、コストの割に利用率が見合っていないって批判されたわけなのです。
さらには、この道路は相場の2倍3倍といった破格の値段で用地が買収されていたり、コスト削減が可能な部分も特に削られないなど、当時の道路公団の希薄なコスト意識から、費用は膨らんでいく事になりました。
コスト意識の低さは、民営化の議論でもかなり問題として扱われていましたからね。
他にも、この道路は様々な地域の思惑から幾度となく計画ルートが変更されていて、結果として時間とお金が想像以上にかかったという事実もあります。
特に飛騨エリアのこの部分ですが、直進してきたルートが、突然高山方面に大きく迂回しています。
実はこの場所は「我田引水」ならぬ「我田引道」行為が行われた名残りで、計画ルートでは酷道156号線沿いにそのまま直進し、高山市方面には「中部縦貫自動車道」を接続させることでアクセスルートを確保する計画だったのですが、これに高山市が猛反発し、結果として高山方面に「立ち寄る」ような現在のルートが策定されたという訳です。
この「高山市立ち寄り計画」では、路線長時代は当初より9キロ長くなるものの、工費は想定とはそこまで大きくは変わらないだろうとされていました。
しかしその想定の甘さを嫌という程に思い知らされることになったのです。
飛騨トンネル工事中の湧き水がヤバかった!
東海北陸道最後の開通区間で会った飛騨清見インターから白川郷インター間に存在する、全長約11キロの長大トンネルです。
山手トンネル、関悦トンネルに次ぐ日本で3番目に長いトンネルで、2007年に貫通しました。
しかしながら掘り始めたのは1996年と、完成の約10年前で、なぜこれほどに時間が掛かったのかというと、実はこのトンネルが貫いている籾糠山周辺はトンネル掘削の前例がほとんどなく、手探りの状態でのスタートで、
- いざ掘り始めたところ予想以上の軟弱地盤だった事
- 大量の湧き水や地盤変動に悩まされた事
- このあたりの地域は豪雪地帯かつ山岳地帯という過酷な環境にあった事
といった日本の優れた土木技術をもってすら「20世紀最後の難工事」と呼ばれるほどの、大変な工事となってしまいました。
湧き水量は海底トンネルとして有名な「青函トンネル」以上の、毎分70トンというとんでもない数値が観測されたようです。
こうした状況から、時間も費用も大幅に増加する事となってしまいました。
時間は先ほど述べた通りですが、総工費に関しては約1000憶円と、当初の予想から倍近く増加することになりました。
11キロで1000憶円なので、1キロあたり100憶円も掛かってしまったのです。
こうしたことから、この区間は特別加算料金が設定されていて、通常の1.6倍の料金が徴収されます。
ただ現在では、ETC車載器搭載車に限って通常区間と同程度になるように割引がなされています。
まとめ
様々な思惑が絡み、悪目立ちもして、費用もかなりかかって造られ、無駄と揶揄された東海北陸自動車道ですが、結果として利用率は増加傾向にあり、いい結果を残しています。
収支を見ても、現在では毎年100憶円程度の黒字になっているようです。(日本高速道路保有・債務返済機構より)
現在では暫定二車線区間の四車線化が進められているなど、利用者数増加に対応した前向きな施策が取り組まれており、今後もこの道のさらなる発展に期待できそうですね。
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