今回は日本最大の名神高速道路について徹底解説していきたいと思います。
名神高速開通までの過程や、なぜ日本初の高速道路になったのか、開通当時の様子、今後はどうなるのか?など詳しく記述していきます。
では、早速紹介していきます!
名神高速道路はどこからどこまで?
名神高速道路は愛知県小牧市の「小牧インターチェンジ」から兵庫県西宮市の「西宮インターチェンジ」までを結ぶ、全長約190キロの高速道路です。
中京圏と関西圏を結ぶ重要な道であり、東西を結ぶ中間軸として、日本全体にとっても重要な道になっています。
- 路線は五畿七道、五街道の1つとして重要なルートであった「中山道」に並行して建設されており、まず東名高速と名古屋高速11号小牧線が接続する起点「小牧インター」を出ると路線は西進していきます。
因みに小牧は名古屋のベットタウンとして栄えてきた街です。
- 岩倉市を経由して、次は「一宮インター」を通過します。
一宮インターでは、名古屋高速16号一宮線に接続しています。
個人的に名古屋都市圏は地形の関係もあって、東西南北にバランス良く道路が配置されていて、交通面では大変優れた街だと思っています。
- 次は東海北陸道が接続する「一宮ジャンクション」です。
「一宮ジャンクション」は名神でもトップクラスの渋滞ポイントになっていて、不名誉ながら全国渋滞ランキングでも上位に入るほどの悪名高きスポットになっております。
名神高速経由で名古屋中心部に向かう車が集まるから、ここはどうしても交通集中を起こしやすいんです。
- そんな「一宮ジャンクション」を出ると木曽川を越えて、次は岐阜県羽島市に入ってきます。
ここにあるインターの名前が「岐阜羽島インター」であったり、新幹線の駅「岐阜羽島駅」であるため、羽島という単体の名称以外にも、岐阜羽島と呼ばれることが多い街です。
- そんな岐阜羽島インターを超えると、次が「安八スマートインター」なのですが、スマートインターチェンジにしては本線直結型の、ちょっぴり豪勢なつくりになっていたりもします。
- 大垣インターを超えると次が「養老ジャンクション」でここで東海環状自動車道と接続します。
この辺りの東海環状道はまだまだ建設中なのですが、ここが完成すれば「一宮ジャンクション」付近の渋滞が大幅に緩和されることが期待されている区間でもあります。
- そして養老サービスエリアを出ると路線は本格的に山岳区間へ入り、関ヶ原付近の山々を縫うような形で滋賀県方面を目指すことになります。
ちなみに養老サービスエリアにある「磯揚げまる天」というお店の商品は個人的にはかなり美味しかった記憶があるので、名神をご利用の際にはおやつがてら召し上がってみてはいかがでしょうか?
- そして大垣市の飛び地区間である旧上石津町を通って、その後「関ヶ原インター」を超えると、いよいよ滋賀県に入って近畿地方入りです。
天下分け目の関ヶ原として有名なこの辺りは豪雪地帯としても知られており、名神高速や東海道新幹線にとっては、冬場のネックポイントとなってしまっている場所でもあります。
この辺りには歴史に埋もれた廃止パーキングエリアや廃道なんかもあるところなのですが、それらの跡地がチェーン着脱場としても使われていたりします。
- 滋賀県に入り、伊吹パーキングエリアを通ると次が「米原ジャンクション」となっており、北陸自動車道と接続しています。
- その後彦根や八日市などの琵琶湖の東側にある街々を通って、現れるのが「栗東インター」です。
ここから「尼崎インター」までの約70キロの区間が、日本で初めて開通した高速道路となっています。
ここから先は三車線区間になっていて、あまり当時の面影は残っていなかったりもします。
- 「草津ジャンクション」で新名神と接続し、続いて「瀬戸東ジャンクション」で京滋バイパスと接続すると、県庁所在地である大津市に入ります。
大津サービスエリアは草津パーキングエリアに規模を抜かれた少し可哀そうなサービスエリアなのです。(笑)
- そして東山の山岳地帯を抜けると京都府に入り、山科区の「京都東インター」に伏見区の「京都南インター」と、立て続けに市内のインターチェンジを抜けていく事になります。
- その後日本でも有数の複雑なジャンクションとして知られる「大山崎ジャンクション」を通ると、天王山トンネルとなり、抜けるとそこは大阪府島本町です。
- 「高槻ジャンクション」で新名神の西側区間と接続し、茨木市を超えると吹田市へ進みます。
- 中国自動車道、近畿自動車道と接続する「吹田ジャンクション」を通ると、次の豊中インターでは阪神高速11号池田線と接続しており、そのまま兵庫県内に突入していく形となっています。
池田線は中国道とも名神ともアクセスが良いので、交通量が多い路線となっています。
- 尼崎インターを超え、阪神高速3号神戸線と接続する「西宮インター」にて、ゴールという形になっています。
こうして詳しくルートを見ると、人口が多い地域を通り抜けてるっていうのがよく分かります。
日本の最重要ルートの1つと言っても、大袈裟ではないのがこの名神高速という道です。
では、一体何が凄いのか詳しく解説していきます。
名神高速の開通は1963年!
1963年に、日本初のハイウェイとして開通した名神高速道路ですが、完成するまでの過程は、まさに「茨の道」でした。
そもそも当時の国内の道路は、国道であったとしても、
- 狭路
- 未舗装
- 未開通
と、現在のような舗装済の高規格な道は少なく、道路建設の技術も他国と比べて決して高いわけではありませんでした。
加えて、火山列島である日本は山岳地帯が多く、地形的に険しい場所が多いことや災害が多いことなど、新たな交通網を敷くには悪い条件が多く、当時は高速道路否定派も一定数存在したようです。
家の目の前の国道が狭い未舗装路で、自動車が通るたびに土ボコリがガンガンに飛んでくるような状態であれば、高速道路なんてお金のかかる高規格な道を作るよりも早く何とかしてほしいと思いますよね。(笑)
しかしそもそも、日本の高速道路建設構想は戦前の軍事的な戦略に存在したように、古くから存在していたことも事実であり、高度経済成長期真っただ中の当時において、高速道路の存在が経済的に大きなメリットをもたらすという論調も、強いものでありました。
東京から神戸という軍事的要所を繋ぐ高速ネットワークとして、新幹線の原型となった弾丸列車計画と共に存在したみたいです。
その後の東海道新幹線と合わせて比べても、高速道路の方が影が薄い印象があるし、実際あまり知られていないんですが、、、
東京と神戸を結ぶルートが最初の高速道路構想だと言いましたが、日本初の高速道路である名神高速は広域的には名古屋と神戸を結ぶ道となっています。
名神高速が日本初の高速道路になった理由は?
なぜ首都である東京を差し置いて、名神高速が日本で初めての高速道路となったのでしょうか?
これについては、元々名神高速は中央道の一部として考えられており、正式路線名も「中央自動車道西宮線」となっています。
中央道ルートと東名ルートで激しい誘致バトルが繰り広げられていた名古屋に対して、名神のルートは比較的スムーズに決まったことから、東西縦貫ルートの先行開業区間として、名神高速の供用が先に行われたという経緯があります。
しかしながら、日本にとって高速道路建設は初めてなる試みであり、一筋縄ではいかなかったのも事実です。
例えば、
- 道路の舗装1つにとってみても、従来のアスファルトでは高速走行時の耐久力が不足することが判明しました。どうすれば耐久力を高めることができるのか、中華鍋でアスファルトを炒めて研究したようです。
- 高速道路という存在そのものの認知がなかった当時は、用地買収も今以上の苦労だったようです。というのも、例え土地を売ったよしても、スルーされるだけの売り手や地域にとっては一切のメリットがなく、ただの迷惑だと考えられたようです。調査員や計量士が出向くと、村中から人が集まって猛反対を唱えられたりもしたみたいです。
- 技術や経済性を考えた結果、名神高速の多くの区間は盛り土構造を採用することになったのですが、これも高速走行時の耐久性や土自体の選定でひと悶着あったみたいです。
結果として、名神の総工賃のうちの三分の一は、これら土工費関連に使用されたほどです。
他にも、大阪と京都の境目である「天王山トンネル」と「梶尾トンネル」は地盤が軟弱で、他のトンネルとは異なる工法を用いるなど、かなりの難工事となってしまったり、そもそも敗戦後でお金のなかった日本は、工費として世界銀行から融資を受けたうえで建設を行ったりと、ありとあらゆる面で多くの人が頭を悩ませ、考え抜いてつくられたのがこの道です。
招いた外国人技師の助言を受けつつ、ドイツのアウトバーンなど他国の高速道路を参考にして、徐々に感性に近づいていきました。
他にも数多くの新技術が名神高速の建設によって生まれ、今日に至るまで様々役立てられています。
そんな名神は開通後も様々なハプニングや紆余曲折がありつつも、いろいろな効果をもたらして、これからの将来構想はこうなっているのです。
名神高速道路の開通直後の姿は?
日本の高度経済成長を背負って立つと思われた名神高速ですが、蓋を開けてみれば通行車はまばらで、まさに閑古鳥が鳴く状態でした。
東京名古屋大阪を結ぶ、日本経済の重要軸なのになんでそうなるのか?
まあこの数字を見れば交通量が少ないのも納得がいくのですが、当時の自動車保有台数は日本全体で800万台程度で現在の10分の1ほどしかありませんでした。
1960年代は「新三種の武器」のうちの1つとして、自家用車が普及し始めた時代で陸上輸送の主役もまだまだ鉄道であり、高速道路需要が少なかったのも、うなずけます。
ただ逆に言えば、工業国として目覚ましい成長をしているにも、関わらず自動車保有率が他国以上に低かったという事です。
これは道路整備の遅れが響いているという面が大きかったようです。
当時の日本の国道舗装率は全体の約20%ほど、都道府県道に至っては僅か6%ほどしかなく、かなり劣悪な状態でした。
名神高速を作るにあたって来日して生きた外国人調査団に、「日本の道路は酷すぎる。工業国でここまでヤバい所は他にはない。」と、言われたのは割と有名な話だそうです。
そういうわけで、閑散としていた当時の名神高速は今では考えられないエピソードも存在します。
- 本線上で記念撮影
- 路肩で敷物を広げてお弁当タイム
- 並行して走って物の受け渡し
当時は交通量が少なかった上、高速道路という存在自体が名神高速の誕生で初めてできた、真新しく珍しいもので、交通ルートというよりは、1つの観光名所となっていたようです。
結果として、このような行為が散見され、警察は頭を悩ませていたそうです。
当時の様子を記録した動画になります。↓↓↓
ただ、方やこのようなエピソードがある一方で、
- 高速走行に不慣れなドライバーの事故が多発
- ガス欠やオーバーヒート多発
により、道路上に立ち往生する車が続出しました。
現在よりも性能が低かった当時の自動車において、100キロの連続走行をするにはそれなりのメンテナンスが欠かせなかったようです。
さらには、
- 路面が濡れた状態でタイヤが滑り、ブレーキが効かなくなる「ハイドロプレーニング現象」
- タイヤの空気圧の低い状態で起こる「スタンディングウェーブ現象」
など、一般ドライバーの知見を超えた事象も多発していたのです。
今では度肝を抜かれるようなエピソードを持ちつつも、50年以上もの長きに渡って日本のモータリゼーションを牽引してきました。
- まず大きな効果として現れたのは、所要時間の短縮で、開通前自動車では6時間ほどかかっていた名阪間の移動が、1965年の全通によって僅か2時間程度に短縮されました。
- 開通直後の名神高速では故障車が相次ぐことになってしまいましたが、各自動車メーカーは高速走行に耐えられるように改良を重ねることになり、性能は劇的に進化し、現在の日本車における安全神話を作る礎の一つともなったのが、名神高速という存在でした。
- 自動車における貨物輸送が急増し、名神高速の開通前と現在では、全ての輸送手段における国内貨物輸送量が三倍ほどになり、うち65%ほどを自動車が占め、高度経済成長を大きく支えました。
名神高速の交通量と比例するように経済も大きく伸び、同時期に開通した東海道新幹線と合わせて、日本の成長を交通面から強く支えた存在となっています。
確かに歴史の教科書とかでも、東海道新幹線と名神高速は高度経済成長期の交通としてセットで扱われることが多いと思います。
マクロな視点だとこういった事が成果として挙げられますが、ミクロな視点で見ると更に大きな効果があったことが伺えます。
例えば沿線の発展が挙げられます。
高速道路という、遠くの場所から物を運ぶことが出来る交通手段が完成したことで、企業は沿線に工場を置くようになりました。
特にその効果が著しかったのが、起点の小牧インターチェンジ付近で、元々モノづくりが盛んな中京圏にあることや主要都市である名古屋に近い事、かつて中京圏においてメインの空の玄関口であった名古屋空港がある事、といった理由から工場や物流会社の進出が相次ぎ、小牧市は名神高速開業前と比べて製造品出荷額が30倍にも増加しました。
もちろん名神だけの効果ではなく、中央道や東名高速が通り、鉄道・航空網も便利な小牧市ならではの数字とも言えますが、高速道路黎明期に開通した名神高速が果たした役割は大きいと言えるでしょう。
小牧以外にも、京都南インターや吹田インターはインターチェンジの利用事業者数ランキングにおいて全国5位以内にランクインしており、日本の物流が名神高速にどれだけ支えられているかがわかると思います。
物流面以外でも、沿線には今日という一大観光地が存在し、少し足を伸ばせば、歴史風情漂う奈良、魅力的な食文化を持つ大阪、異国情緒あふれる神戸など、様々なジャンルの観光・行楽地が存在し、名神を利用して多くの観光客がこれらに代表される場所を訪れてきました。
ファミリー層や学生グループなどは電車よりも自家用車を好んで利用することが多く、名神高速を利用して日々多くの人がこういった沿線のレジャースポットを訪れています。
他にも高速道路通勤が可能になったことで郊外のベットタウン開発が進められ、地方に人が流入するようになったり、ベットタウン開発が進められ、地方に人が流入するようになったり、交流が盛んになったことで地域間の格差も少なくなっていきました。
名神高速の今後の姿はどうなる?
開通から50年の中で最も大きな変化であったのは、「新名神」の開通と言えるでしょう。
名神高速に並行し、東名阪を繋ぐ重要ルートをダブルネットワーク化することで、渋滞緩和から速達性向上、有事の際の保険など、様々な効果をもたらすことを期待して、東名高速・新東名高速とともに整備が進められました。
高速道路先進地域のヨーロッパでは、ダブルネットワーク化は結構進んでいる一方で、日本は遅れ気味なんです。
2008年に亀山ジャンクション~草津ジャンクション間が開通したのを皮切りに、現在では全体の80%もの区間が完成しました。
残る大津ジャンクションから城陽ジャンクションまでと、八幡京田辺ジャンクションから高槻ジャンクションまでの約35キロの区間についても、現段階では2023年に開通する予定です。
この区間が開通することで名神高速の完全な並行路線が完成し、特に長距離トラックや都市間直行の高速バスなどは、直線でカーブも少ない新名神にメインルートを変更することが見込まれています。
ただ並行ルートが完成することで、元あった路線のパーキングエリアなどでは客足が遠のき、収入が減少するのも事実ではあります。
といっても名神高速は新名神以上に地域の中でも大きめの都市を通るルートになっており、これらの都市に向かう需要は残り続けるだろうから、山の中を走り抜ける中国道のような事例とは異なるでしょう。
名神湾岸連絡線
現在、阪神高速3号神戸線と接続する西宮インター止まりとなっている名神高速を、南側に約3キロほど延伸させて、阪神高速5号湾岸線と接続させるという構想です。
3号神戸線の渋滞が緩和されると期待されています。
5号湾岸線は3号神戸線のバイパス路線として造られて、まだ計画中の区間もあって完全な形では無いけど、神戸市中心部に抜ける第二の都市高速路線になっているので、便利であるのは確かです。
2020年7月4日には連絡船に関する地元説明会も開かれて、工事期間は約8年、完成後の2030年時点での予想交通量は、一日当たり約2万台程度だという試算も公表されています。
今のところ、構想段階の路線ですが、国土交通省は騒音や日照、環境汚染などの問題に対してしっかりと保全措置を取った上で、着実に整備を進めていきたいといったしせを見せているみたいです。
この辺りは新名神からも離れていますし、大都市へのアクセスは名神、長距離の通貨需要は新名神という感じで棲み分けがなされていきそうですね。
他にも集中工事やリフレッシュ工事、SA・PAのリニューアルなど、様々なプロジェクトが進行しています。
元祖高速道路として、これからも日本経済に貢献していってほしいですね。
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